★0
僕は、社長を連れて、『五星』に向かった。『五星』は、リーズナブルで変わった趣向の店だと、社長には説明してあったから、社長は寝起きのゴキゲンな赤ん坊のように、店に着くまでの車の中、ハイテンションではしゃぎ通した。僕は腹の底で、…社長、バカだなぁ。これからどんなことが起こるとも知らないで…、と嗤った。
★★★★★
★1
『五星』は、学生時代からの友人のF君に「面白い店がある」
と誘われて出掛けたのが最初だった。
F君から貰った『五星』のサービスチケット付きのチラシは、真っ赤過ぎて目が痛くなった。
革命パブ 五星(FIVE STARS)
革命的カクテル 革命的価格
打倒旧世界 創立新世界
給料が出たある日、日頃の憤懣のガス抜きをしよう、とF君と駅で待ち合わせて、僕らは『五星』に向かった。
『五星』は、ちょっとわかりにくい場所にある、とF君は言った。繁華街の細長いビルの一階に喫茶店があり、F君は、「この喫茶店を通らないと『五星』に行けないんだ」と言った。
そして細長いビルの一階の、一見普通の喫茶店に入ると、F君は店の人に、「同志23」と、会員番号を告げた。すると店の人が、地下に続く奥の階段を示してくれた。
僕は事前にF君から、「この店は、会員の招待がないと入れない」と説明を受けていた。幸い、僕はF君に紹介されたので、会員番号「同志547」と書かれた会員証を、ここで貰った。
お金を払って会員証を発行すると、同時に赤い表紙の『毛沢東語録』を手渡された。
「その『毛沢東語録』に、この店の利用規約があるから、追々説明もするし、自分でも目を通しておいて」
と、F君に言われた。
★2
地下に続く階段を降りて、ドン突きの右側の非常扉を開けた。すると、…中から女の人が飛び出してきて、僕の肩にぶつかった。振り向かずに走り去る女の人を、間を空けずにサラリーマン風の男が追いかけた。…何をやっているのだろう、男女間のもつれだろうか。「デートするなら場所を選べよ」と、F君は冷たくボソッと言った。
そうして店に入って、すぐ目に飛び込む横断幕に書かれた朱色の文字は「百年大汁」「四旧打破」「文攻武衛」…。何だろう、どういう意味なんだろう。
何より、店内が真っ赤だ。ぐるりと見渡すと、店内にいる人の数は二十人程度だが、
「革命無罪(かくめいむざい)!造反有里(ぞうはんゆうり)!」
などと掛け声や、紅旗の歌など、BGMがとても騒々しい。僕にとっては全く非日常的な別世界だ。
「ここは、一九六六年の文化大革命の《批判大会》を再現しよう、っていう趣旨の店だよ。時代錯誤を楽しむついでに、軽いSMごっこがガス抜きになる。え、文革、知らない?」
と、F君。
文革って…?
そういえば、社会科の授業で先生が、「人を不当に、自由に逮捕していた…云々」と、言っていたことを、何となく覚えている。
★3
頬の赤い、人民服を着た化粧っ気の無い店の女の子が、僕らのことを《同志》と呼び、テーブルに案内してくれた。「同志、コースをお選び下さい。紅(こう)五(ご)類(るい)タイプ、黒(こく)五類(ごるい)タイプのうち、それぞれ五種類、計十種類のコースがございます。」
「どっちがいいの?」
僕は店の女の子に訊いた。すると、
「同志は、お若い労働者のようでいらっしゃいますので、紅五類の〈労働者コース〉など、いかがでございますか?詳しくはこちらのメニュー表を、どうぞご覧下さい。尚《集会》は七時からです。」…
僕は、これも真っ赤なメニュー表を見せてもらった。
(座席基本料金 ※飲食代別途)
紅五類
〈革命幹部コース〉三五〇〇円
〈革命軍人コース〉三〇〇〇円
〈革命烈士コース〉三〇〇〇円
〈労働者コース〉 二〇〇〇円
〈農夫コース〉 二〇〇〇円
黒五類
〈反革命分子コース〉六〇〇〇円
〈右派分子コース〉 六〇〇〇円
〈悪質分子コース〉 六〇〇〇円
〈地主コース〉 六〇〇〇円
〈富農コース〉 六〇〇〇円
つまり、文革の階級闘争で区別された階級がメニュー、ということらしい。
黒五類がいわゆるブルジョアのことで、逆に紅五類がプロレタリアだと、僕は簡単に理解した。「文化大革命」は「プロレタリア大革命」だから、プロレタリアの紅五類が優遇されるのだろう、と。
★4
初めてなので、僕はとりあえず、薦められたとおり紅五類の〈労働者コース〉、F君は〈農夫コース〉に決めた。前回、F君は〈革命幹部コース〉を試してみたらしい「派遣先の管理職の人と、忘年会の3次会でね」…
F君は大学を出てから、派遣社員として働いていた。F君が『五星』を知ったのは、派遣ユニオンの繋がりで、違う派遣会社の人に紹介されたらしかった。
「派遣先のお偉いさんでさ、俺たちその人に無理矢理、黒五類のコースを仕向けたんだ。その人、飲んだ勢いで羽振りがよくてさ。俺たちに自己批判を強要されて舞い上がっちゃってさ、ハハハ。その前に来た時は、ドMのキャリア官僚が客にいて、黒五類で吊るし上げられていたよ。凄い涙目で、あの時は笑いが止まらなかったなぁ。あと、偶に政治家の先生とかも来るらしい。それでそいつは、ベルトで打たれるのが好きらしい。」…
自己批判?強要?
★5
先ほどの人民服を着た店の子が、つつつ、とやって来て、「貴重品にはこれをお使い下さい」
と、紅い紙切れを幾つかくれた。紙切れには何か書いてあるけれど、中国語で書いてあるからよくわからない。するとF君が説明してくれた。
「昔、文化大革命の時代、紅衛兵に壊されたら困るような物には、毛沢東のありがたい言葉の書かれた、こういう紙を貼っておいたらしい。これが貼ってある物に紅衛兵は手出しできなかったそうだ。『毛語録』って言うんだけどね。まぁ、魔除けの御札だな」
「魔除けのお札」と聞いて、僕はキョンシーのポーズでおどけてみせた。F君の説明は、まるで文革当時を生き延びた人の言葉にようで、笑えた。F君は「あ、そうそう」と言葉を付け加えた。
「くれぐれもこの『毛語録』の紙とか、会員になる時に貰った赤い表紙の本を粗末に扱うなよ。『毛語録』を貼ってある物を壊したり、『毛語録』自体を捨てたりすると、この店の掟(ルール)で、紅五類のコースの人も、黒五類になるから」
…
しかし、黒五類になると、どういうことになるんだろう?…と思っていると、《集会》が始まる七時になったようだ。
★6
胡弓とアコーディオンによる『紅旗の歌』の生演奏をバックに、赤いチャイナドレスを着た、オーバーアクションのメガネっ娘が、ステージに登場した。抑揚の激しい、観ている方が恥かしくなるような、芝居染みたオーバーアクションで、「本日は当『文革パブ五星』にようこそいらっしゃいました」
とメガネっ娘が挨拶をした。
すると、2~3人の客が「江青~」とコールを送った。どうやらこのメガネっ娘の《江青》、この店のアイドルなのか。
「どうぞ存分に、普段味わうことのできない、スリルと興奮をお楽しみ下さい」
と《江青》は言うと、いかにも政治的で偽善的なプロパガンダ風に、顔の角度をくっとあげ、気持ち悪いぐらい爽やかな笑顔を見せた。
そして、バッ、と派手に赤いチャイナドレスを脱ぎさった。場内は一瞬どよめいたが、《江青》のチャイナドレスの下は、つまらない人民服だった。
「悪いけど、ここはそういう店じゃないから」と、F君はおつまみのえびせんをもりもり食べながら無表情に言った。…僕は、がっかりだ。
★7
しばらく《江青》とバックダンサーによる「紅旗ダンス」の時間。「この踊りはただの前座」とFくんが解説してくれたので、ならばこのタイミングに、と僕は用を足しに立ち上がった。便所には「厠所」と書かれた看板がぶら下がっていた。
トイレの中は、…噂に聞いた、これが「ニイハオ便所」か。便器は無くて、ただ溝があった。こんなところまで本格的なのか、と僕は驚いた。凄い辱めだ。誰か別の人が用を足していれば、丸見えになる。
誰もいないのを見計らって、僕はそそくさと用を足した。
多分、女性用のトイレもこういう造りなんだろう。…さっき入り口でぶつかったカップルの女の人は、これに衝撃を受けて走り去ったのだろう…、と僕はふと思った。
★8
そうして自分のテーブルに戻ると、店内は既に「革命無罪!造反有里!」のコールがはじまっていた。これが《批判大会》か。《江青》とバックダンサーが、さささ、と掃けて、紅五類の三〇〇〇円以上のコースを選んだ人たちが、黒五類の人を引っ張ってきた。
黒五類の人は、小突かれて跪かされて、着ている上着を裏返しに着させられた。続いて「反革命分子」と墨で書かれた三角形のマヌケなピエロのような帽子を被されて、首からこれも「反革命分子」と書かれた看板をぶら下げて、指を指してバカにされて笑われて、晒し者にされていた。
…僕は不思議だった。誰が好き好んで六〇〇〇円もする黒五類をやりたがるのだろう。…と、F君に訊くと、「今日の黒五類はこの店のサクラだよ」ということだった。
「黒五類のコースを選ぶ人は少ない。ピラミッドの頂点のブルジョアは、いつの時代もほんの一握りだ。だからよほどのマゾじゃない限り、普段は黒五類が少ないのが実情。それでこの店は黒五類役のサクラが、ちゃんとアルバイトでいるんだよ。」…
この人、アルバイトなのか。と思うと、金のためにこんな仕事までやる、この黒五類の人が哀れに思えた。一体どんな経緯で、今日ここで批判に晒されているのだろう…と、僕はそんなことを気にして、ぽかんと、この光景を眺めていた。
そんな僕を見て、Fくんが、
「でも君も気をつけないと。《農夫》や《労働者》だからって、どっちつかずの中立で傍観していると、黒五類に仕立て上げられるから」
と、慌てるように言った。「仕立て上げられる」とは、どういうことだ?
「基本料金は最初の二〇〇〇円のままだけれど、階級が紅五類から黒五類に入れ替わるスリルも『五星』の売りだからね。三角帽子を被りたくなかったら、とにかく、積極的に批判に参加することだ」
…そうか、僕も《労働者》だからって、安心していられないのか。僕は青島ビールをぐいとあおって、周りに合わせて声を上げた。
最初、かすれて出にくかった声が、だんだん大きな声になってきた。
「革命無罪!造反有里!打倒走資派!」…
★9
紅五類の三〇〇〇円以上のコースの人が、意気揚々と叫んだ。「こいつは、先日まで会社を経営していた資本家だ。おい、心を入れ替えろ。もっと真剣に毛主席に敬礼しろ!」
黒五類役の人(アルバイトなんだろうけれど)は、舞台上の「批判台」に立たされて、両手を後ろに伸ばして、上半身を折り曲げた「ジェット式」なるきつい姿勢をとらされて、顔を真っ赤にして、耐え切れず、
「ふん、ぐふっ」
と、言った。
その姿を、紅五類が皆で嘲笑した。
更に批判は続いて、どうやら、本当にこのアルバイトの黒五類は、経営していた会社が倒産したために、今こんなことを生業にしている、ということが分かってきた。資産を遊興に使い込み、社員を独断で解雇したり、残業代を支払わなかったり…と、これが本当だとしたら、僕の会社の社長と同じくらい、最低の事業主だったのだ。
人には色々な事情があるものだ。…しかし、執拗に自己批判を強要されて、辛そうに「く…」とか「ぎ…」などと悶えているこの黒五類を見ていると、次第に、彼が本物のブルジョアの権化のように思えてきて、僕は彼が無性に腹立たしく思えてきた。
「攻撃性は人間の本能」という言葉が、ふいに僕の脳裏を過った。
だんだん、僕の中で固められていた、目に見えないものが、自由に、溢れるように表に出てくるのを、僕は感じた。「血が逆流する」という感じは、こういうことなのか。まるで、自分自身が牙を持つ生き物だと、生まれて初めて気がついたように、目覚めつつある僕自身を感じていた。
…これが、革命なのか!
★10
僕は普段、工場の機械のメンテナンスの仕事をしている。下請けの小さな会社だけれど、待遇は正社員だ。けれど、ボーナスを貰ったことがないし、貰えるはずの残業代が、なぜかとても少ない。この会社に就職するとき、社長が面接で言っていたことと違う。社長は普通に「残業代はきちんと出す」と言った。そのことで僕は社長に問い詰めたら、社長は、「君はよくやってくれているから、役職手当をつけた。扱いが管理職になるから、残業代はつかないんだよ」と言い、ボーナスが出ない理由については、「景気が良くないから、稼いでくれたらボーナスも出すよ」…。
何だか、僕は罠にはまったような気がした。
元請けの大手の社員は、僕と同じ仕事をして、ボーナスの月には、ちゃんとボーナスを貰っている。彼らは新車も買えるし、海外旅行にだって行ける。彼らが海外旅行で遊んでいる間、その穴埋めを、下請けの僕がする。
酷いものだ。何が正社員だ。元請けが僕の仕事に対して支払っている金の大半を、社長がピンハネしているのは、もう、どう見ても明らかだった。
僕が一生懸命仕事をして、元請けからの評価が上がっても、助かるのは元請けの社員で、儲かるのはうちの社長。…そして僕は、今の仕事には何も感じなくなっていた。
そうして僕は、ただ正社員という立場にしがみついて、凍てついて乾ききった僕自身に、気づかないように、自分を欺くようにしてやり過ごしていた。
「革命に罪は無い!打倒!ブルジョア!」
赤い表紙の『毛沢東語録』を振りかざしながら何度も叫んでいると、今まで凍らせておいた僕の怒りが、炎のように赤く力を帯びてきて、本気で、社長や元請けの社員のようなブルジョアが許せないと思った。気がつくと、僕は大粒の涙をポロポロこぼしながら、むちゃくちゃな顔をして叫んでいたと思う。
「革命無罪!造反有里!打倒走資派!」…
「同志!」とF君は、僕とテレパシーで通じ合ったかのように、肩を組んだ。そして次第に、周りの紅五類の客たちとも、手を取り合ったり、肩を抱きあったりして、その場の強い連帯感を僕は感じて、感動していた。
…
★11
集会が終わって、僕とF君はしばし静かにグラスを傾けた。「僕も、僕の会社の社長を、『五星』に招待したい。」
と、僕はF君に言った。F君は面白半分に目を見開いて、
「え、そんなことして、大丈夫?会社クビになるよ」
と言う。でも、
「クビならそれはそれでいいさ。どうせ、働き続けても、過労死させられるだけだし。心配してくれて、ありがとう」
と、僕は本気だった。
…死ぬよりもクビ。どうせ辞めるなら、気持ちをスカっとさせた方がいい。目先の金のためなら、あんなアコギなやり方でピンハネされる、その上、他人の命なんてどうでもいい、あのバカ社長が、今日の黒五類のように、辛そうに「く…」とか「ぎ…」などと悶える姿を妄想すると、僕はワクワクして、いてもたってもいられない。…と、F君に言うと、F君は、
「ずっと君の社長の極悪非道ぶりは聞かされているからな。〝安くていいキャバクラ、僕、知ってます〟、っていうノリで誘い出せばいいんじゃないか。できる協力があればするよ、同志」
と、エールをくれた。
僕とF君は、革命的カクテルでもう一度乾杯した。
★12
翌週、社長を誘い出すのは楽だった。F君の言ったとおり、「僕の給料でも行ける〝安くていいキャバクラ、僕、知ってます〟」と、ただそれだけで、事はうまく運んだ。
「今日は、無礼講でいこう。な、よろしく頼むよ」
と、まず一軒目で何杯か引っ掛けて、上機嫌の社長を車に乗せ、僕が運転した。
…向かう先は、キャバクラなんかじゃない。奇妙なメガネっ娘の《江青》は居るけれど。でも、今日は「無礼講」だと、社長自らがそう言ったのだから。
繁華街の細長いテナントビルの一階の喫茶店を抜けて、地下に続く階段を降り、『五星』に着いた。
店には、既にF君が仲間を連れて来ていた。何の説明もせず、「この黒五類コースがいい」と社長に言うと、社長は「それにしてくれ」と言った。
この店のアイドル、メガネっ娘の《江青》が社長の背後に立ち、「こちらです」と、社長をどこか、控え室らしいところに連れて行った。
そしてしばらくして、《集会》が始まった。
お決まりの三角帽子を被った出で立ちの社長の目が、完全に怯えて挙動不振だった。
僕の首を賭けた、これは反逆であり、暴動だ。この日、僕はどれだけ笑い転げただろう。…
★13
《集会》が終わってしばし、解放された社長が、僕を睨みつけて一言、「文化大革命じゃなくて、部下大革命だな」
と、つまらないダジャレを言った。そして、
「ならば、下放にしてやるから、覚えておけ」
社長はそう言い残して、上着を裏返しに着たまま、フラフラと『五星』を出て行った。
下放?
F君が「下放」について説明してくれた。
「文化大革命の批判による血祭りが頂点に達して、紅衛兵達の派閥が分裂して、収拾がつかなくなった。…」
…その時、毛沢東が若い紅衛兵達に「農民から学べ」と言ったそうだ。
「農民から学べ」と言えば聞こえはいいが、どうやら本音は、有り余る人民のために都市での仕事が足りなくなる、その手立てとして、大勢の若者達地方に送り出した…。というのが本当のところらしい。
そうして、大勢の都会の若者達、その多くは紅衛兵達を、辺ぴな田舎の農村で農作業に従事させた。そういった「下放」の若者達の多くは、農村では役に立たなかったり、貧しい農村の辛い暮らしに絶えられず、逃げ出す者が後を絶たなかったりしたそうだ。
社長が言った「下放にしてやる」とは、つまり僕を僻地の工場にでも異動させようということか。…
★14
週明け、僕に辞令が下った。カザフスタンの出張所に飛ばされることになった。
なんで、小さな下請けの会社に、カザフスタンの出張所があるんだ?多分、ウランの鉱脈を掘らされるんだ。
もちろん、辞めて逃げるつもりだ。
-終劇-
(2007年)