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2006年12月4日月曜日
党生活者?②
ジィちゃんを「先生」と呼んだ駅員さんとは、よく、ホームの売店で出会った。
ジィちゃんと私が普段いる売店は、改札口の前にあったが、私はよく、ホームの売店の手伝いに借り出された。
駅のホームでその駅員さんは、アナウンスと、「右よし、左よし、発車オーライ」をやっていた。
電車を送り出して、乗客がいなくなった後、駅員さんは、しょっちゅう私のいる売店に来て、
「どう、元気?」
などと、気さくに話掛けてくれた。
何気にゴルフの素振りのポーズをして見せる駅員さんに、
「ゴルフされるんですか?」
と尋ねると、「いいや」と言う。
「こういうのしている人、よくいるよね。」
と、ゴルフをしている人の真似だそうだ。
そんな他愛ないやりとりをしつつも、電車が入ってくる時間ぴったりに、急に声が変わるのが、“仕事人”を感じさせた。
…ぇ間もなくぅ、3番線、特急列車が、ぁ通過いたしますぅ。…
…危険ですので、ぇ白線の、ぉ内側にお下がり下さい、ぃ。…
ある日のこと。
いつものように、駅員さんは私を見かけて、売店までやって来て、
「元気でね。」
と言った。
「今日で、さよならだ。」
何でも、翌日からは数駅下った駅に異動するのだとか。
先ごろ、この駅員さんは上の人の噛み付いたそうだ。
先日、ジィちゃんのところに駅員さんが訪ねて来た理由は、どうやら「今から、上の人に噛み付く」ことの相談だったらしい。
「要は左遷だよ。悲しいねぇ。」
と言って、ふいに背を向けた、駅員さんは、
…4番線、ぇ普通列車、到着致します、ぅ。…
そして、ちょっと目が合った瞬間に、私は軽く敬礼しておいた。
「お元気で」の言葉代わりに。
駅員さんも、軽く敬礼を返してくれた。
2006年12月3日日曜日
山おろしの店で③
人に気遣って、損な役回りを引き受ける。━━とかく、このオジさんのような人は、いいように人に利用されがちだ。
でも、しっかり責任感を持って、人に気遣いしながら、オジさんは「人を害なさない」生き方をする人だった。
「損な役回りは、人に利用されるような性分の、己が引き込んだことだから、悪いのはそいつ自身だ」
のような見解しか示さない輩も多い。
むしろ、今の世の中では、その見解が唯一の“正しさ”だという、非情な見方さえされがちだ。
故に、オジさん自身も、「全て自分のせい」なのだと思い込んでしまうだろう。
私は思うに。
「人を害なさない」という忍耐強い生き方が、どれほど崇高なものか、と。
人を害しながら何とも思わない輩どもには、それが考えられない。
考えられないものだから、人を害しながら何とも思わない輩どもは、誰かが言った“正しさ”を、盲目的に信仰する。
彼奴らは、要はアホなのだ。
そういったアホの輩どもには、カレー味のウンコでも食わせておくのがいい、と私は考える。
「人を害なさない」生き方は、尊敬されこそすれ、見下されるようなものであってはいかんだろう。
「人を害なさない」生き方を、大勢の人々が心掛けることで、世界に平和が成り立つのだから。
それが見下されるような社会に仕立て上げた、ウンコ・ブルジョアの方々に食されるための、カレー味のウンコを、私は心を込めて、作ってさしあげたいものだ。
倫理を崩壊させた、バブルに浮かれ遊んだウンコ連中どもを、私は激しく呪っている。
2006年12月2日土曜日
山おろしの店で②
オジさんは、自分が車掌をしていた頃の話を、少しだけ聞かせてくれた。
その時、オジさんの目は輝いていた。
やりがいを感じる、好きな仕事だったのだろう。
今はもう無い、オジさんの電車。
世の中って何?
人生って何?
どうして、どうして、どうして…???
不条理な不可解な疑問が、私の中でぐるぐる旋廻するのだった。
その日は雪が降りそうな寒さだった。
この売店の傍の、駅の出口付近は、休日、ストリートミュージシャンが必ず来ていた。
その日も休日で、無名の三味線のデュオが来ているらしかった。(今思えば、ブレイク前の“吉田兄弟”だったのかもしれない。でも、国内に何組三味線のデュオが存在するのか知らないので、あのデュオグループが何者だったのか、今でもわからない。)
店先に立っていると、えもいわれぬ美しい三味線の音色が聴こえてきた。
出口付近は、あっという間に、黒山の人だかりになっていた。
ストリートミュージシャンで、これだけ人を集められるということは、やっぱりこの日の演奏者は、ホンモノらしかった。
私が、その三味線の音色に気をとられていると、オジさんは、
「店は僕が見てるから、聴きに行ってもいいよ。」
と言ってくれた。
私はその言葉に甘えて、人だかりを掻き分けて、演奏者の前に出た。
着物を着た若い二人組が、寒空の下、素手でバチを握り、寒さなど感じさせない演奏していた。
およそ20分近い演奏時間中、人だかりが途絶えることが無かった。
唯一、あの極寒の店の利点が、優れたストリートミュージシャンの生演奏が聴けることだった。
オジさんのお陰で、勤務時間中に、すこぶる贅沢なひと時を味わうことができた。
外は、雪が降り始めていた。
オジさんの心臓の痛みの原因が、私のようなモコモコに着込んだ子が、狭い店の中をウロチョロしたストレスによるものでなければ、…と後に思ったものだ。
2006年12月1日金曜日
山おろしの店で①
私が普段いる売店の、反対側の改札口にある売店は、冬場、山から吹き降ろす風が直撃する、極寒の店だった。
その店の助っ人に借り出された日は、私は泣きたい気持ちになった。
普段よりも防寒対策をして、あり得ないほどモコモコの出で立ちで、私はその店先に立った。
この店を仕切っているのは、昔は車掌をしていたオジさん。
廃線や人員整理で、オジさんが車掌をしていた列車は、もう残っていない。
常軌を逸脱したかのような、モコモコの姿の私に対し、オジさんは、フツーに制服を着ているだけだった。
「寒くないんですか?」
と私が聞くと、
「そうだね。寒いねぇ。」
「…もう一枚、上着とか、着なくて大丈夫なんですか?」
「何とかね。大丈夫だよ。」
大丈夫?
しかし私は、オジさんが右手の握り拳を、左胸に押し当てて、顔をしかめている姿をよく目撃した。
「心臓、よくないんですか?」
と訊ねると、
「少しね。でも、慣れだからね。大丈夫だよ。」
オジさんが胸が痛くても辛抱し続けるのは、働ける職場があるだけマシだという考え方なのだろう。
そして、オジさんが私のようにアホみたいに服を着込まないのは、その働ける職場の「組織の規律」に準じて、型破りなマネをして、人に迷惑を掛けまいとする、武士道的な男社会が作り上げた思想からに過ぎないのだろう。
どうして、そんなにまでするんだろう?
私はモコモコの衣服の中に大量に隠しこんだ、使い捨てカイロの一つを、オジさんの手に渡した。
…私がそうしたのは、私の気分の、ほんの気休めに過ぎなかった。
オジさんは「人に心配を掛けてしまった」ことを、申し訳なさそうに、照れ臭そうに受け取ってくれた。
2006年11月16日木曜日
党生活者?①
普段、駅のホームでアナウンスをしている駅員さんが売店に来て、ジィちゃんに向かって、
「先生!」
と言った。
ジィちゃんは「おぅ」と、偉そうに言った。
駅員さんは、いつも低姿勢で面白い人だが、ジィちゃんの前では、一層低姿勢だった。
そして、駅員さんは拳を固めて、何やら熱く、ジィちゃんに訴え始めた。
ジィちゃんは、偉そうに、頷いてその話を聞いていた。
…この人らは、何をしとるんだろう?
ふと、私の存在に気づいた駅員さんは、私に何やらビラを差し出して、組合や共産党の話をしはじめた。そして駅員さんは、ジィちゃんが自分の師匠であると熱弁を振るい、それを見ていたジィちゃんは、
「おい、こんな若い子に、そんな話やめとけ。」
と、駅員さんをいさめた。
よほどジィちゃんの言葉は、この駅員さんに効くらしい。
駅員さんは、静かに敬礼して、その場を離れた。
私はジィちゃんを、そんなに偉い人として扱ったことは無かった。
私はジィちゃんに、
「ジィちゃん、共産党なん?」
と訊くと、ジィちゃんは、険しい顔で「そうだ」静かに言った。
「なんで?なんで?」と、興味本位で私が尋ねると、ジィちゃんは、普段のジィちゃんに戻って、答えた。
「だって、戦争ムリヤリ行かされたん、あんなんワシもう嫌やってんもん。」
…恐らく、ジィちゃんにとっては、話せば尽きない話なのだろう。
それでもジィちゃんはどうやら、“何も知らない世代”の私を気遣ってか、いつも軽やかで明快な答えだけを言った。
2006年11月7日火曜日
“馬”の店③
夕方を過ぎ、宵の口という頃になって、ようやく駅構内はシンと静まり返る。
柱にもたれかかり、いつまでもクダを巻いているオジさんもいる。
営業妨害なので、駅員に告げ口して、このオジさんを退かしてもらう。
ようやく閉店の時間になり、A女史は私に言った。
「今日はありがとう。お疲れ様。明日も頑張ってね。明日は私休みだけど、他の人が来るから…。」
…!
そうだ。翌日、日曜日のレースもあるのだ…。
意気消沈したように私も帰路についた。
いいや、私は助っ人でこの店に来ただけだし、明日さえ乗り切れば、と。
勿論、翌日も同じ光景が繰り返され、私は散々くたびれ果てたものだ。
二度とこの“馬の店”には行きたくない!と思ったが、その後私はしばしば、土日のM駅にかり出された。
この経験のお陰で、私はその後、幾分修羅場に強い人間になったし、ポケットに入った小銭を、指の感覚だけで計算できる能力が備わった。
紙に計算式などが書いてあっても、その回答を出すのは遅いが、ホンモノのゼニを掴ませたら私は早い。
2006年11月6日月曜日
“馬”の店②
M駅の西口を出ると、JRA(日本中央競馬会)の大きなビルがある。
丁度、正午にM駅に到着した私は、M駅の売店を仕切っているA女史に、
「お昼は食べた?食べてなかったら、今食べてきて!しっかり食べてね!1時に戻ってきて!」
と言われた。
昼食を摂って店に戻ると、A女史から「戦略」を聴かされた。
「…(競馬)出走前とレース終了後がヤマ場。今から3時まで、「大スポ」と競馬新聞類がよく出るから、品切れさせないように。3時になったら、ぴったり客足が止むから。その後4時頃からまた大勢お客さんが来るからね。その時はビールとワンカップと缶コーヒーを切らさない。…」
A女史の気合の入り方から、これはタダゴトでは無い、と察知した。
午後2時前、ちらほらと客が増え始める。
ああ、これは言われたとおり、なかなか忙しい店だ、と思った。
更にその思いをはるかに上回る、午後2時過ぎ。
私のいる売店の真正面に改札があり、更にその奥に、まるでタカラヅカのレビューの時に使う階段のように、ホームへとつながる階段が見える。
昼の2時を回ったある瞬間から、その階段は異様なレビューのように見える。
役者は絢爛に着飾ったタカラジェンヌとは真逆だが、普段着の中高年のオジさん達。
ジャンパー姿、ハンティング帽、地味なのか派手なのかわからないシャツ、渋い面構え、くたびれた革靴、若しくはくたびれたスニーカー、ポケットに手を突っ込み、或いは禁煙の構内であるにも関わらずくわえタバコで…。
もの凄い人数のオジさんたちが、もの凄い勢いで改札をくぐりぬけ、もの凄い勢いで私達のいる売店に、途切れること無く押し寄せてくる。
ブック、エイト、大スポ、ブック、研究、タバコ、コーヒー、ブック、大スポ、フジ、タバコ、ブック、エイト…
売れる商品はほぼ同じ。
つり銭を間違えないよう、最初は頭を使っていたが、次第に体が勝手に動くようになり、指先の感覚だけでつり銭を渡せるようになる。
競馬新聞を何度も補充し、缶コーヒーも何度も温めた。
これだけの人数が狭い店舗を取り囲んでいると、スキを見てリフター(万引き)にも気をつけなければならない。
全く気を抜けない。
時間の感覚が全く無くなり、無我の境地に至る頃、客足がぴったりと止んだ。
「もうじき出走だわ。今のうちに缶ビールと缶コーヒーを補充しておいて。あ、ワンカップも。」
と、A女史。
やってきた夕刊と、翌日のレースの競馬新聞を補充し、一息ついたのも束の間。
「もうそろそろ来るよ。」
A女史の言葉どおり、午後4時前、オジさん達が悲喜こもごもの足取りで戻ってきた。
ビール、ビール、チューハイ、ビール、ビール、ワンカップ、ビール、ビール、缶コーヒー、ビール、ワンカップ…
この人波は、いつまで経っても途切れることが無かった。
つり銭を渡すと、オジさんが大きな声で、
「あ~、負けた負けた~。次は明日や~。頑張るで~!」
「勝ったヤツがこんなとこで呑むかいな!皆で呑みに繰り出しよるわ!!!」
ある人は、買った缶ビールで乾杯をし、ある人は物言わず黙ったままグビグビとビールを飲み干す。
2006年11月5日日曜日
“馬”の店①
ある土曜日、駅の売店の会社の偉い人が慌てるようにやって来て、私に言った。
「M駅の売店に、今日と明日、助っ人に行ってくれんか?今日入るはずやった者が病気で倒れてしもたんや!」
何も知らない私は二つ返事で快諾したが、一部始終を見ていたジィちゃんが、
「M駅か。“馬の店”やな。最前線や。」
と言った。
私はジィちゃんに店を任せてM駅に向かおうとすると、ジィちゃんは手を振りながら、
「死ぬなよ~。」
と言った。
ジィちゃんの言葉の意味を、私は後で知ることになる。
2006年11月4日土曜日
天下ってきたジィちゃん
某私鉄の駅の売店で働いたことがある。
都市の大きな駅だった。
冬の駅の売店はとてつもなく寒かったし、夏はクーラーが壊れていて、まるでサウナだった。
一緒に働いていたのは、国鉄時代は駅長もやったという、天下ってきたジィちゃん。
「わしは戦争行ったぞ~。」
ジィちゃんに戦争の話や共産党の話をふると、やたら話が盛り上がった。
ヒマな時は大方この話題で退屈しないようにしていた。
ある寒い冬の日、私はレッグウォーマーをして店番をしていた。
私のレッグウォーマーを見たジィちゃんは、
「その、足にしとるやつは何や?」
私は、
「レッグウォーマーですよ。寒をしのぐんですよ。」
「ゲートルみたいなもんやな。」
「ゲートルって、あの足に巻く包帯みたいなヤツ?」
「おお!その年齢でよう知っとるなぁ・・・」
という具合に。
ジィちゃんが私に休憩を勧める時は、
「先生、ちょっと休んできたらどないや?」
私は、
「上官、私はまだ大丈夫であります。」
すると呼び名は白熱してくる。
ジィちゃんは、
「あんたがワシの上官でっせ、軍曹。」
「何を仰いますやら、中尉殿。」
「ちょっと多めに休んどき、少佐。」
「ええんですか?大佐。」
…大将、元帥、首相、天皇、果ては上皇、神様まで行き着いた。
「しかしよう知っとるなぁ・・・。」
と、ジィちゃんも感心していたが、私も自分で何故知っているのだろう?と不思議に思った。
私が退職する時、ジィちゃんは私に「餞別や、もろとけ」と言って、のし袋をくれた。
若い人でこういうことをする人はあまりいない。
昔の人だから、こういうことにはとても律儀だということもあるけれど、気遣いが嬉しくて心の温まる思いがした。
ジィちゃんは熱烈な阪神ファンで、新聞を店先に出す時は「デイリースポーツ」を前の方に出し、「報知新聞」や巨人の勝利が一面の新聞などは早々と引きあげた。
若い私は信じられない差別行為を目にした、と思ったが、黙っていた。
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