私は、「ふつう」を装うので必死だったが、その思いとウラハラに、ちょこちょこボロが出て「狂っている風」が見え隠れするのが、自分で自分をやっていて、情けないやら悲しいやら。
「狂気」だけを自分からこそぎ落とせたら、「ふつう」でいられたのに、それができない葛藤に悶え苦しんでいた。
取り繕うことのできない自分の狂気を制する、この自分の内側だけの戦いを、他の誰にも打ち明けられることのできない苦しさで、私は消えて無くなってしまいたいと、幾度と無く考えた。
そうこうしていると。
私が高校を一ヶ月休学したということを知った中学時代の恩師が、私に「拝み屋」を紹介してくれた。
「拝み屋」とは、いわゆる霊能者で、「手かざし」などで悪霊を払う人。
「拝み屋」の中には高額を請求する人もいるそうだが、たまたま私が紹介された「拝み屋」は無償だった。━━なんでも、こういった霊能力で金を儲けると、せっかく授かったその能力は無くなるのだとか。
無償だったので、およそ10年間はこの「拝み屋」を私は頼りにした。
私にとって“幻聴”は“幻聴”ではなかった。
確実に聴こえているこの見知らぬ声が、マボロシや気のせいで済まされるのには、どうしても納得がいかなかった。
だから霊能者である「拝み屋」に、
「あなたが聴いているのは、霊の声です。幻聴ではないです。」
と言われた時、なんだかホッしたものだ。